2009年1月30日金曜日

マスターズ活躍誓う

日本ゴルフツアー機構(JGTO)初代会長だった故島田幸作(しまだ・こうさく)氏(享年64)の「お別れの会」が30日、都内で行われた。島田氏は昨年11月3日、膵(すい)頭部がんのため死去した。 この日は石川遼、尾崎将司、中嶋常幸ら約550人が参加。高校生プロとしての道筋をつけてくれた恩人の死に、石川は「島田さんがいなければ、今のぼくはなかった」と号泣した。最後は、出場の決まったマスターズ(4月9日開幕、米ジョージア州オーガスタ・ナショナルGC)に向けて「本当に頑張る気持ちになる」と涙をふいて、故島田氏に勇姿を見せることを誓った。

2009年1月18日日曜日

一息ついた。安心した

大相撲初場所8日目(18日、両国国技館)前日に鬼の形相で嘉風をにらみつけた朝青龍が、この日は心優しい一面をのぞかせた。取組後、右ひざを傷めて立ち上がれない安美錦に歩み寄り、手を差し伸べる。土つかずで勝ち越しを決め、精神的にもゆとりが出てきた証といえる。 支度部屋でも安美錦を気遣い続けた。「大丈夫だったか」と報道陣に逆取材し、「いつもならすぐに立つのに、なかなか立ち上がらなかった。心配だなぁ。ケガは嫌だから頑張ってほしいよ」としんみり。難敵を撃破も、後味は悪かった。 相撲は完璧(かんぺき)だった。立ち合いで1度突っかけられても、まったく動じない。2度目の立ち合いで踏み込み、安美錦の右腕を抱えるようにして前に出る。土俵際で何とか左へ回り込もうとする相手を、構わず豪快に押し倒した。 「前に出たいい相撲。直前に横綱(白鵬)がいい相撲を取った。それをみて気迫を感じたのが、勝ちにつながった」。前日の取材拒否は撤回。逆境でも強気な姿勢を崩さない横綱が、「一息ついた感じだね。安心した」と本音も漏らした。

2009年1月12日月曜日

片山晋呉

5度目の賞金王に輝いた昨年は、史上7人目の“永久シード入り”を果たしたが、それはもう20数年前から決まっていたことだった。ゴルフ日記なるものを書き始めたのは小学生のころまでさかのぼる。ノートに大きな字でこう書いた。「35歳で25勝」。ほかにも「プロ3年目に優勝」とか、「5年目で賞金王」とか、「30歳でフェラーリに乗れる選手になる」とか…。いわば未来の自分に宛てたメッセージは年齢ごとに細かく区切られ、しかも具体的な内容が綴られている。「そのほとんどを実現してきた」と、片山は言う。志は大きくても、実際にそれを成し遂げられる人間はそれほど多くない。本人もプロ転向直後は6試合連続の予選落ちを味わうなど、「このままではプロとして食っていけない」と、絶望したことが何度もあったという。しかし一念発起でコーチの江連忠の門を叩き、3年がかりでスイング改造に取り組み、みごと初優勝を飾り、本人の予言どおりに5年で賞金王の座についた。身長171センチとスポーツ選手としては、けして恵まれているとはいえない身体に加え、デビュー直後には胸椎のヘルニアというハンディを抱えながら、まさに死にものぐるいで頂点まで上り詰めた。

2009年1月4日日曜日

2008年最も稼いだ映画スター

Quigley Publishing Co.による毎年恒例の調査は、全米の映画館主と映画バイヤーが、最も興行収入を稼ぎ出した10人に投票するもの。スミスは1932年の同調査スタート以来、トップに立った2人目のアフリカ系アメリカ人俳優となった。1人目は、68年のシドニー・ポワチエ。 スミスは07年12月中旬公開の『アイ・アム・レジェンド』から稼ぎつづけ、『ハンコック』が2億2800万ドル、現在公開中の『7つの贈り物』はいまひとつ振るわないものの、2週間で3900万ドルの全米興収を記録している。